らんどなテックブログ

エンジニアのいろいろ

転職するのでお仕事を振り返る

本日が現職最終日なので雑に振り返りをしておく。

株式会社ドリコムではちょうど5年半働かせてもらった。 細かいものを除けば3チームほど所属し、ソーシャルゲームのクライアント、Unity SDK の開発、などの業務を担当した。

自分は前の会社を1ヶ月ほどで辞めた過去があり、ここでは絶対にちゃんと実績を残すぞという背水の陣みたいな想いがあった。

技術スタック

  • Cocos2d-x (v2)
  • Unity
  • C#
  • Jenkins
  • Ruby
  • Electron

ざっと思い出すのはこのあたり。 歴史あるアプリが多かったので多少古いフレームワークもあった。 Ruby は学生時代から使っているので自分用のスクリプトはだいたいそれで書いた。 めんどくさい手作業を避けたくて Electron によるツール開発などもやったりした。(知人にドヤったらめっちゃ便利ツールに拡張された)

ソーシャルゲームのクライアント

元々ゲームを希望していたのでアサインされた。 壮絶な既存コードではあったが、1個1個読み解いた。 同時押しするとフリーズする、など代々伝わるバグの原因究明などもやった。 複雑すぎてもう直せないと言われていたコードにも修正を入れた。 既存とルールの異なる新バトルの開発、なども仕切った。

この頃はスキルアップのための試行錯誤も多かった。 見積もり精度を上げるために徹底して作業を時間計測をしたり、手戻りを起こさないよう実装をとにかく後回しにして事前調査をやったり、世にある設計を勉強したり。 このあたりの経験は今も生きている。と思う。

開発はスクラムではない何かで管理されていたが、今考えれば大人数の割にはきれいにまわせていたと思う。 チームの IP 愛も高く良いチームだった。 途中からはクライアントリードも任され、自分なりには上手いことやっていたと思っていた。 が、今思えば、もっと「チーム」に対していい影響を与える動きを期待されていたんだろうなと気づいた。

Unity SDK の開発

少人数の新規開発チームだったので、それまでのゲーム運営とはだいぶ体感が異なっていた。 プロダクトのためになるなら割と何をやっても許される文化があり、やるべきことは自分で見つけることが期待されていた。 めちゃくちゃ自発的に動いていたし、結果として趣味の勉強と業務が混ざり土日もずっと何かをやっていた記憶がある。 正直自分には縁が無いと思っていた社外登壇や技術書の執筆もこの時期に行った。

途中からは多少チームが大きくなったことで、以前から興味のあったマネジメントも本格的にやり出した。 いろいろ考えて設計した開発フローがだいたいスクラムと一緒だと気づき、既存フレームワークの力を感じた。 メンバーのことやチームのことを考えながら自分で手を動かす大変さを知り、プレイングマネージャーだった上司たちの凄さも思い知った。 マネジメントが性に合っているとは感じるが、手を動かさなくなるのは思ったよりやりづらかったので、少なくとも直近は隙あらばコードを書くという姿勢を続けたいと思う。

次の話

IRIAM (イリアム) | あなたらしいキャラで、おしゃべりしよう!

次は「キャラクターによるライブ配信アプリ」でお仕事させていただくことになっている。 以前の同僚がここや同業他社にいるのを複数観測しており、非ゲームなもののだいぶ地続きなのを感じる。

業務は Unity とマネジメントという自分が興味ある二つをやれるので非常にありがたい。 と言いながらも、マネジメントやってくれぇ!圧を非常に感じているので、まずはそっちで成果を出し、そこを起点にしてより面白い業務につなげていきたいと思う。